それでも人生は劇的で刺激的で喜劇的だ

ツナです、サーモンも好きです。経営コンサルしてます。

笑う教授

「Tough is Good」とまたあの教授がニヤニヤしながら言った。

 

彼は大柄の白人で、縦にも横にも大きい、スキンヘッドの下のたれ目をいつも以上にへの字型にして、意地の悪そうににやけながら言うのだ。

 

この言葉を言われてもう5年以上経つが、今でも、何かに挑戦する時、自分を奮い立たせたい時には、思い返すようにしている。

 

それは、彼がことあるごとにこの言葉を言っていただけではなく、このシンプルな言葉には強力なパワーがあるからだと思っている。

 

引きつる生徒、笑う教授

大学での彼の授業は、学部屈指の厳しさで有名であった。

 

英語のみで進む授業は珍しくなかったが、元コンサルの彼の授業は、帰国子女や海外からの留学生がヒィヒィ言うようなグループ課題が多く出た。

 

「最も注目すべき企業を見つけ、注目すべき理由、成長した理由をエビデンスと自分の示唆を用いてプレゼンしろ。期限は来週」

「半期でビジネスを1つ立ち上げろ」

 

筆記試験を乗り越えた生徒たちも、課題が出るたびに顔が引きつっていた。

その度に彼は、子供のように意地の悪そうな笑顔でこう繰り返した。

 

「Tough is Good」

 

 

突き返されたテスト用紙

私はその21名のクラスで唯一海外経験がなかった。

 

大学1年生の春、受講者へのオリエンテーションの時点で、

私は周囲とのレベルの差を痛感した。

 

教授の説明は半分も分からないし、自分以外は英語圏での生活経験があった。

 

受講者を選ぶテストが始まる前に、今年の受講を諦めていた私は、

少しでも彼と話をしたいと思っていた。

 

テスト終了5分前に、

ダメ元の英作文と欄外の「来年再チャレンジします」とメモを書いたテスト用紙を渡した。

 

彼は一瞥して、私に用紙を突き返した。

 

「私は待たないぞ」

 

「目の前のToughなチャンスから逃げるな、Toughだからこそ挑戦する意味がある」

 

私は用紙を持って、机に戻り、拙い英作文を少しでもマシにする為に、再度ペンを持った。

再提出した際に彼は笑って受け取ってくれた。

 

 

後日、定員20名の合格者リストに私の名前はなかった。

ただ、リストの欄外に手書きで「+1」と私の名前があった。

(しばらくしてから知ったが、教授はその年で退職する予定だった)

 

喜んだのも束の間、翌週からToughな大学1年生が始まった。

 

壁を見ると壁以外も見える

前述の通り、「英語は出来て当然」な生徒がヒィヒィ言うような授業だった。

課題が完遂しないこともざらだったし、途中の脱落者も出た。

 

英語が人並みにしかできない私はもっと酷い状態であった。

 

口と要領で上手く生きてきた私は、

自分と全力を出しても、尚、届かない課題に直面して初めて知れたことがいくつかある。

 

自分の全てを持って挑戦してこそ、

自分の弱点、心の弱い部分が見えたし、

同時に、自分の強みとなる部分も再確認することができた。

 

高校生の時は英語ができる方であったが、それでも日本の中だけの話である。

帰国子女らからすれば、出来て当然であり、私のそれは現地の小学生にすら劣っていた。

 

言語では自分はチームにも授業にも貢献できないし、何よりムカついた。

奇抜なアイディアとそれを実行する度胸を持っていたので、そこで貢献し始めた。

 

 

何もできんが度胸はある

一度、「成長企業を分析し、グループでプレゼンをする」と言う課題が出た。

 

周囲と同じことはツマラナイ、と思った私は、

「記者インタビュー風のプレゼンを行おう」とチームに提案した。

 

各グループがオシャレで作りこまれたパワポと分析で、流暢な英語プレゼンをこなした。

我々のグループは2名がスーツでカメラを構え、

私が社長のお面を被って登場する所からスタートした。

 

勿論、ただの色物で終わらない為に他のグループに負けない質の内容にした、

プレゼンの方法自体も、より伝わりやすいように工夫したという感じだ。

 

他の生徒や教授は、最初は笑いこそすれど、

「なるほど、そう言うアプローチで来たか…」

「この方法は思いつかなかった」

と、感心してくれてすらいた。

 

何も、ウンウンと考えて、ヒューマンスキルで勝負しようと思ったわけでない。

Toughな課題に直面し、要領や小手先(私は日本人よりちょっと英語ができる)では

どうにもならない状況になって初めて、

「それでも自分には何が残っているのか」と考え、ヒューマンスキルが残っていたのだ。

 

 

失敗は間違いではない

それでも失敗の方が多かった。

ヒューマンスキルの逆と言うか、性格的に苦手なものも見えてきた。

 

ある課題で企業とのアライアンスを組む必要が出てきたときに、私はテレアポ担当として、企業から資金を調達する必要があった。

 

結果は、「全滅」よりも最悪であった。

余裕たっぷりの納期内でテレアポリストを消化できなかったのだ。

 

「人に何かを頼む」、「人の力を借りる」ということに罪悪感を抱きやすく、

「相手に申し訳なくなる」と思い、電話一本かけるのに精神と時間をすり減らしていたのだ。

「通話」ボタンを押すのに10分ほどあーだこーだ考えていたりもした。

 

それ以外にも見えてきた弱点も多かったし、

課題が求められるクオリティに達していないこともあった。

私以外の生徒も例外ではない。

 

それでも挫折しないで続けられたのは、教授が感情的に怒らず、

客観的に反省点を述べた上で、

「Tough is Good」、「Challenge is Good」と、

「困難に挑戦したという行為そのもの」を必ず称賛してくれたからであろう。

 

失敗は間違いではない、そこから何かを得られれば、成功の種であると教えてくれた。

 

 

Easy is Bad, Tough is Good

それからと言うもの、その授業以外でも私はToughなことに挑戦し続けた。

 

インターン先での新規事業立ち上げ、

海外での論文発表、

全敗している競合他社との入札案件、

専門性が問われる他業種への経験無しの転職、

 

どれも傍から見れば無謀にも思える行為だった。

実際に、成功以上の失敗をしている。

 

怒られもした、叱られもした、

病んだし、鬱にもなった。

転職だって希望業界の1社以外は全部落ちた。

 

それでも自分が乗り越えられるのか分からない壁が来ると、

挑戦したくてウズウズするのだ

 

今更、九九ドリルを解いてもつまらないし、

漢字検定5級(小学生レベル)を受けても達成感は得られない、

アルファベットを書いても満足できない。

 

自分の最強パーティーの最強の技を使って、

権謀術数の限りを尽くして、

それでも倒せるか分からないゲームのラスボスこそ、

対面して「楽しい」と思えるんじゃないだろうか。

 

頭から煙が出るような、日夜そのことだけを考えらえるような、

自分の全部をもってしてようやく乗り越えられるような、

そんな課題にこそむしろ、

Tough is Goodと自分を奮い立たせて、挑戦してはどうだろうか。