「本を読む」を90%の人が誤解している
私は本が好きだ。
読書家じゃないし、月に何十冊も読むような人間でもない。
月に1冊も読まない日もある。積読(つんどく※)も山もたくさんあるし、途中で挫折した本もたくさんある。読まないで大掃除で捨てた本もある。
※買って積んで、読まない本
それでも本が好きだ。
基本的に私は人と会話するのが好きで、知らない人と話すのも好きだ。
本は、知らない誰かとの会話に近いと思っている。
本を通せば、
日本の剛腕経営者とも会話できる、
中国の今は亡き小説家とも会話できる、
フランスの老いた芸術家とも会話できる、
インドネシアの若きボランティアとも会話できる、
時間・場所・年齢・人種を問わず、色んな人と会話できるのだ。
しかし悲しいかな、特に最近は「本」に苦手意識を持つ人が多い。
「何か分かりにくい」
「読むのが大変」
「時間がない」
「YouTubeの方が学べる」(これには一部賛成)
なぜこうなっているのか、それは「本を読む」の解釈を誤解しているからだと思う。
学校教育で「教科書は全て読め」と習った癖なのか、自分が好きで読む本においてもそのような誤解があると思っている。
否、「本を読む」とは、「本の全ページを読むこと」では断じてない。
「ほしい情報を本から得た」ならば、「本を読んだ」と言っていいと思っている。
本を読む
×:全ページを読破した
〇:ほしい情報を手に入れた
全ページ読んだ本なんて「読書大好きですwww」なんて冒頭で言った私でさえも、人生で20冊もいかないと思う。
もう一度言うが「本は全ページを読む必要はない!」
ほしい情報を知れればそれで良いのであって、インターネットと似たものだとすら思っている。
友達と居酒屋で飲む時に都内の全ての居酒屋を見る人はいない、
ほしい情報だけ探して、読み、残りの99.99%の居酒屋は見向きもしない。
本もそれで良いと思っている。
1冊を丁寧に読むのも素晴らしいが、
10冊の自分の気になる部分だけを拾い読みするのも1つの「本を読んだ」である。
と言うか、「私は年に100冊読んでます」なんてネットでドヤ顔している人たちも、よくよく読書の方法を聞いてみると、拾い読みが多い。(いい本は何回も読むが)
三度目だが、「本は全ページ読まなくていい」のだ!
好きなところだけ読めばいい。
ドツボにはまって初めて、全部読んでもいいし、何周だってすればいいのだ。
もうぶっちゃけ、ここで私の言いたいことは終わったのだが、本の読み方を聞かれることも多いので、乗りと勢いで私の独断と偏見をドバドバッと書いてみようと思う。